名古屋高等裁判所 昭和29年(う)750号 判決 1955年1月27日
主文
被告人杉本文一郎の本件控訴を棄却する。原判決中、被告人佐橋弘、同前田太持、同風岡伊曾市の関係する部分を破棄する。
被告人佐橋弘を罰金五万円に、被告人前田太持、同風岡伊曽市を各罰金壱千円に処する。右罰金を完納することができないときは、金弐百円を一日に換算した期間、各被告人を留置する。被告人前田太持、同風岡伊曽市から、各金七百円を追徴する。被告人佐橋弘、同前田太持、同風岡伊曽市に対し、公職選挙法第二百五十二条第一項の規定を適用しない。
本件公訴事実中、被告人佐橋弘が昭和二十八年三月十五日岐阜県加茂郡白川町阿岐旅館業ます尾方で、被告人前田太持、同風岡伊曽市に対し、一人千四百三十円相当の饗応接待を為し、被告人前田、同風岡がこれを受けた点(原判決第二事実及びこれに照応する第三事実)は何れも無罪。
理由
本件控訴の趣意は弁護人三宅厚三、同市川三朗の各控訴趣意書を引用する。
三宅弁護人の論旨第一点、市川弁護人の論旨第三点について。
原判決は、所論の通り、証人石田米、岩田甚吉、岩田丈一、岩田進、中根清市、長谷川幸一郎、福田一三、玉腰常義、駒田市三郎、寺沢兼光、暮石義一に対する各証人尋問調書を証拠としているが、右各証人は、原審第三回公判期日に、検察官から証人調の請求があつて、原審が、これが証拠調をする旨決定し、原審第四、第五、第六、第八回の各公判期日に、証人調を為したものである。従つて、右の証人調をなした裁判官が、原判決を為したのであれば、右各証人の供述が証拠となるものであつて、証人尋問調書は証拠とならぬのであるが、原審では、第九回公判期日に、裁判官が交替し、公判手続を更新したことが、該公判調書で明らかであり、その更新手続については、何等の異議申立も為されていないから、適式な手続を履践したものと認むるの外はないので、原審第八回公判期日までに取り調べた証拠を改めて証拠調をし、証人については、その供述を記載した証人尋問調書を証拠書類として、証拠調をしたものと認めざるを得ない。而して、原審第九回公判期日に関与した裁判官が、爾後審理を継続し、原判決を為したのであるから、前記各証人の証言を証拠とするに当り、証人尋問調書を証拠としたのは、まことに相当であつて、この点について何等の違法もなく、論旨は理由がない。
市川弁論人の論旨第一点について
論旨の旨は、原審は、裁判官が変つたのに、公判手続を更新しなかつた違法があると謂うにあるが、裁判官が変つても、起訴状の朗読や証拠調等のような裁判官の心証を形成するのに関係のある手続が為されたときは、必ず公判手続を更新しなければならないが、そうでない単純な形式的な手続に関係のあるに過ぎない手続が為されたにとどまるときは、公判手続を更新しなくても変更前の裁判官が為した従前の手続は、変更後の裁判官の下においても、その効力があるものと解すべきである。本件において、これを見るに原審第一回公判は、判事井上正弘によつて開廷されたが、公判期日の変更決定と次回公判期日の指定が為されただけであり、原審第二回公判期日は、判事渋谷利一によつて開廷され、裁判官が変つているが、人定質問起訴状の朗読等公判手続の最初から手続を始めているから、公判手続の更新という疑義を生ずる余地がない。次に原審第四回公判期日においては、判事巽圭三郎に変つたので、公判手続を更新して居り、更に原審第九回公判期日には判事熊田康一と交替したので、公判手続を更新し、その後同判事によつて、審理が経続せられ、原審第十二回公判期日において結審し判決宣告期日を昭和二十九年六月十七日と指定告知したところ、該期日(第十三回公判)は、判事坂本収二が公判を開廷し、判決宣告期日を延期し、昭和二十九年七月六日の第十四回公判期日において、先の熊田判事が判事宣告をしたのであつて、第十三回公判期日においては、裁判官が変つたけれども、これは、結審以後のことで宣告期日を延期したに過ぎないから、前記説明の通り公判手続を更新する必はないのである。右のように、原審においては、裁判官が変つて、実質的に審理し、心証形成に関係のある手続をしたときは、公判手続を更新して居り、その手続について、何等の異議申立もないので、適式な手続が為されたものと認めることができるので、原審においては、公判手続更新に関しては、何等の違法な手続もなく、論旨は、理由がない。
市川弁護人の論旨第二点について。
有罪の判決に証拠の標目を掲げる場合、被告人が数名あつたり、又は、犯罪事実が数個あつたり、或は被告人も犯罪事実も複数であるときは、どの証拠で、どの被告人のどの犯罪事実を認定したかを明白にしなければならないことは、所論の通りであるが犯罪事実が互に関連している場合とか又は犯罪事実と証拠とを綜合検討して証拠と犯罪事実との関係が認められるときは、証拠の標目を一括挙示しても違法ではない。本件においては、被告人は四名で、犯罪事実は、第一乃至第三と分けてあるが、何れも昭和二十八年四月十九日施行の衆議院議員総選挙に際し、愛知県第三区から立候補した江崎真澄の当選を得しめるため、投票並に選挙運動の報酬として、饗応し又は饗応を受けた事実関係で、相互に関連して居り、その証拠も互に関係があるから、証拠の標目を一括挙示して、綜合認定することも違法ではない、論旨の中には、右の証拠では理由のくいちがいがあるとか又は事実誤認があると謂う点も含まれているが、この点については、後に説明することとする。然し、原判決の証拠の標目の記載方法には、何等の違法もないからこの点に関する論旨は、採用することができない。
市川弁護人の論旨第四点について、
司法警察員が逮捕状により被疑者を逮捕したとき又は逮捕状により逮捕された被疑者を受け取つたとき留置の必があるときは、四十八時間内に被疑者の身柄、書類及び証拠物を検察庁に送致しなければならぬことは、所論の通りであるが、送致後、司法警察員が、犯罪の捜査の継続を為すことを禁止したものと解することはできない。司法警察員は、送致後と雖、刑事訴訟法及び刑事訴訟規則に従い、犯罪の捜査を為し得るものであつて、これが一方法として、被疑者に対し、質問を為し、任意の供述を求め、これが供述調書を作成することができるものと解すべきである。かかる供述調書は、事件送致後、作成せられたという理由のみでは、証拠能力を否定し去ることはできない。これらの供述調書もまた刑事訴訟法第三百二十一条乃至第三百二十六条等の規定に従い、証拠能力があるかどうかが決せらるべきものである。本件においては各被告人の逮捕状及び勾留状が記録中に存しないので、各被告人の逮捕勾留の日時を正確に知ることはできないが、昭和二十八年六月十一日及び同月十七日の起訴のときには、各被告人とも、何れも不拘束であつたことは明らかであり、各被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書を見れば、各被告人とも逮捕されてから四十八時間を経過した後に、司法警察員から供述調書を作成せられたことを推察することができる。然し、前記の通り、送致後、作成せられた司法警察員の供述調書でも証拠とすることができるものであつても、且つ右各供述調書の任意性を疑うに足る資料も存しないから、原判決が、被告人等の司法警察員に対する供述調書を証拠としたのは、違法ではない。論旨は、理由がない。
三宅弁護人の論旨第二点の事実誤認の論旨、市川弁護人の理由不備又は事実誤認の論旨について、
(一)原判示第一事実及びこれに対応する原判示第三事実の一部について、
被告人杉本、佐橋は、原判示の候補者江崎真澄を原判示の事情から後援していたものであるが、被告人等の住居地である愛知県布袋町(現在は江南市)に江崎真澄の後援団体であるマスミ会を結成しようと企て、その結成準備会の開催の準備万端を被告人佐橋が引受け、その準備会場を原判示の料理業米本と定め、期日を昭和二十八年三月十五日夜と定め、被告人前田、風岡外十名位を招待したところ、同年三月十四日衆議院が解散され、マスミ会結成の準備会は延期しなければならぬ事情となつたが、被告人杉本、佐橋は、米本方での会食は既に準備していたので、取りやめることなく、両名で前記の招待者を饗応することとし、招待者から会費を徴収しないにも拘らず、会合者には総て、会費三百円の領収書を交付し会費徴集を仮装したことは、被告人杉本、佐橋の両名とも争わないところであり、このことは原判決挙示の証拠により、十分に認定することができる。前記饗応の趣意が、前記候補江崎真澄の当選を得しめるため投票並に選挙運動を依頼するためのものであつたかどうかについては、(1)被告人佐橋は、会合者から会費を徴集しなかつたのに、会費三百円の領収書を交付するにつき、領収書を準備し、被告人杉本は、これを諒承し会費徴集を仮装したことが認められること、(2)原審証人岩田丈一、岩田甚吉、石田千太郎、暮石義一、岩田進、中根清市、長谷川幸一郎、福田一三、玉腰常義、駒田市三郎の各証言によれば、会費を支払わないのに被告人佐橋から領収書を受取つたことや、会食を始めるに当り、被告人杉本が「衆議院が解散されたので、もう何も云えないがよろしく頼む」と挨拶したことが認められ、前記証人岩田丈一、石田千太郎、中根清市、福田一三、玉腰常義、駒田市三郎の証言を綜合すれば、被告人杉本の右の挨拶の趣旨は、江崎が立候補したならば江崎を応援してくれとの意味にとれたことが認められ、岩田丈一、岩田甚吉、暮石義一、岩田進、中根清市、長谷川幸一郎、福田一三玉腰常義、寺沢兼光、駒田市三郎の検察官に対する各供述調書によれば、前記饗応の趣旨が、原判示の通り、候補者江崎真澄のため投票及び選挙運動を依頼するための報酬の趣旨のものであつたことが認められ、(3)饗応を受けた被告人前田、風岡も両名に対する検察官の供述調書によれば、右饗応の趣旨が、原判示の通りであつたことを知つていたことが認められる。(4)更に、被告人杉本、佐橋両名は平素親交のある者だけを招待したのでなく、招待された者の中には、単に顔知りの程度であつたものもあつたことから、選挙に関係のない親睦会とは認め難く、(5)従つて、被告人杉本文一郎、佐橋弘が、検察官に対する各供述調書において、前記饗応の趣旨を原判示の通り認めているのは、信用できるものと謂うことができる。
又前記米本における饗応の費用が一人前七百円であつたことは、被告人佐橋の原審公判廷における供述及び原審証人石田米の証言を綜合することによつて十分に認定できる。従つて原判決第一の犯罪事実及びこれに照応する被告人前田、風岡の原判決第三の事実は、原判決挙示の証拠によつて、十分に認定し得るところであり、この点については、原判決には、理由のくいちがい又は事実誤認はなく、論旨は理由がない。
(二)原判決第二事実及びこれに照応する原判決第三事実の一部について、
この点について、被告人佐橋弘、前田太持風岡伊曽市の司法警員及び検察官の各供述調書によれば、認められないことはないが、(1)右被告人三名は、小学校当時から同級生として、平素親交があり、しばしば会食して居り被告人佐橋は、町会議員と云う町の有力者として被告人前田、風岡を御馳走したこともあつたことが、本件記録によつて認められ、(2)被告人佐橋と風岡は、原判示第二記載のます屋こと渡辺益太郎に、数回遊びに行き、被告人佐橋は、同家の娘で女中代りをしている渡辺恒子に心を寄せ、情交関係があり、恒子は、被告人佐橋の友人である風岡方を連絡場所として、被告人佐橋と打合せて、関係を結んだことがあり、被告人風岡は、ます屋の女中桂川保子に関心を持つて、関係したことがあり、恒子も保子も、清純な娘又は女中でなく、客を取り、売春行為をしていたものであつて、右の被告人両名としては、僅かの金額で、面白く遊べるので、当時、機会ある毎に、右のます屋に遊興に行つていたことが、当審で取り調べた証人渡辺恒子、桂川保子、渡辺益太郎の証言で十分認められる。(3)従つて前記の米本における会合の席上、飲酒の上、被告人風岡が被告人佐橋を誘つて、前記ます屋に遊びに行うと言い、被告人佐橋がこれに応じ、被告人前田を誘つたのは、単に面白い楽しい所に遊興に行く趣旨であつて、選挙に関係があつたとは即断し難いところである。(4)更に被告人佐橋は、友人である被告人前田及び風岡を、前記米本での饗応した同じ夜、更に改めて饗応して、選挙運動を頼まねばならなかつた事情があつたとは認められない。
以上の諸点から、被告人等の供述調書の中には、ます屋における遊興が、選挙に関係があるように供述している部分があるが、これは信用することができない。この供述調書以外には、原判示第二、第三のような饗応の趣旨を認めるに足る証拠がない。従つて、原判決が、ます屋における被告人佐橋、前田、風岡の遊興をたとえ被告人佐橋が費用の負担していても投票又は選挙運動の報酬とする趣旨であつたと認定したのは、事実誤認であり、この点については、原判決は、破棄を免れない。論旨は、理由がある。
三宅弁護人の論旨第三点の量刑不当の論旨について、
被告人杉本文一郎については、同人の原判決第一事実の犯罪を犯すに至つた動機、犯行の態様、家庭関係と資産状態等の諸般の情状と被告人杉本が市会議員である地位とを考慮するときは、原判決の罰金五万円と選挙権及び被選挙権を停止しなかつた措置は、正当で、論旨は、理由がない。
他の被告人の量刑については、原判決が破棄せられ、後記の通り判決するのであるから、その際考慮することにする。
以上の次第で、被告人杉本文一郎の本件控訴は、刑事訴訟法第百九十六条により、棄却し、その他の被告人の関係する原判決は、同法第三百九十七条第三百八十二条により、破棄し、同法第四百条但書により、次の通り判決する。犯罪事実は、原判決第一事実はそのまま引用し、原判決第三事実は、被告人前田、同風岡は、選挙人で、被告人杉本、同佐橋両名が候補者江崎真澄の当選を得しめる目的で、同候補者のため投票並に選挙運動を依頼し、その報酬として原判決第一記載の通り一人前約七百円相当の酒食の饗応接待を為すものであることを知りながら、饗応接待を受けたものであると変更する外、原判決を引用し、証拠の標目は、原判示を引用する。
法律に照すに、被告人佐橋の所為は、公職選挙法第二百二十一条第一項第一号罰金等臨時措置法第二条刑法第六十条に、立候補届出前に選挙運動を為した点は、公職選挙法第二百三十九条第一号第百二十九条罰金等臨時措置法第二条刑法第六十条に該当するところ、右は、一個の行為で数個の罪名に触れる場合に当るから、刑法第五十四条第一項前段第十条により、重い饗応した罪の刑に従い、所定刑中罰金刑を選択し、被告人前田、同風岡の所為は公職選挙法第二百二十一条第一項第四号第一号罰金等臨時措置法第二条に該当するので、所定刑中罰金刑を選択し、右罰金額の範囲内で、被告人佐橋を罰金五万円、被告人前田、同風岡を各罰金千円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第十八条により、金二百円を一日に換算した期間各被告人を労役場に留置し、なお被告人前田、同風岡両名から、公職選挙法第二百二十四条により、それぞれ金七百円を追徴することとし、更に被告人三名とも、情状により、公職選挙法第二百五十二条第三項により同条第一項の規定を適用しないことにする。
なお本件公訴事実中、被告人佐橋が昭和二十八年三月十五日岐阜県加茂郡白川町大字阿岐旅館業ます屋こと渡辺益太郎方で、被告人前田、同風岡両名に対し、候補者江崎真澄の当選を得る目的で立候補届出前に、投票並に選挙運動の報酬として、一人前千四百三十円相当の饗応接待をし、被告人前田、同風岡が、右趣旨を知りながら饗応接待を受けた点(原判決第二事実及びこれに照応する第三事実)は、前記説明の通り、犯罪の証明がないので、刑事訴訟法第三百三十六条により、無罪の言渡をする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判長判事 高城運七 判事 柳沢節夫 赤間鎮雄)